2006/12/21
新聞の識者コメントは都合がいいように曲げられる
立て続けに新聞記事の識者コメントについての、新聞社の我田引水な扱いを目にしました。
しかし、注意深く応じたにもかかわらず、読売新聞13日夕刊には、言っていないコメントを掲載されてしまった。
スタンダード 反社会学講座(2006年12月20日キャッシュ)
12月24日追記:該当コメントは、最近の○○・バックナンバー 2に移動されています。
先日、朝日新聞のお笑いに関する記事で私のコメントが使われました。でも、あれ、私の意図とはかなり違う文脈で使われていますし、私がいってもないことを、さも私のコメントであるかのように書かれてもいます。結果的に、お笑いのことなどまるでわかってない記者が書いたゴミのような文化記事の片棒かつがされてしまいました。
最初に自分の都合がいい結論があって、それに合わせた素材を用意したいだけの類いは、どこにでもいますね。演繹法とは似て非なるものです(似てすらもいないか)。似非科学を主張する人たちもそんな感じ。
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