2007/10/14

イラン南東部での大学生誘拐とバム地震と

イランのケルマン州バム近辺で大学生の誘拐された事件について思うことが多少あります。

私は実は過去に2回、今回の事件の舞台となっているイラン=パキスタン国境・ザヘダン〜バム〜州都ケルマンを旅したことがあります。なおこのルートは、アジアを東西に旅する旅行者にとっては一般的なルートで、特に私が珍しいということはありません。(というか、アフガン内戦以来、アジアを陸路で横断する場合、この国境を通るしかなくなりました。ソ連崩壊後は、中央アジアルートも使えるようになっていますが、こちらの方が遥かに一般的です。)

テレビドラマ版の「深夜特急」でも、大沢たかお演ずる沢木耕太郎青年が、リストラされた中年の日本人(渡辺哲)とバムを訪れています。1

私がバムを訪れたのは「深夜特急」のドラマより前ですが、特に治安の悪さは感じず、何事もないイランの一地方都市という印象を受けました。ここで補足しておきますが、イランの知識がほとんどない人がイランと聞くと、物騒な国という印象が割とあるのではないかと思います。

アメリカのブッシュ政権には「悪の枢軸」などと呼ばれ、核開発が槍玉に挙げられていますが、しかし、実際にはイランは豊富なオイルマネーでインフラは整い、生活レベルも低くなく、独裁国家でもなく、むしろ平和で落ち着いた国だと思います。

私も訪問前までは、なんとなく「危ない国」というあやふやな印象を持っていましたが、訪問してみていかに日本のマスコミ報道が物事の一面しか伝えていないかを感じた具体的な国です。もちろん宗教警察(風紀警察)に代表されるように国家統制の強い面も見られますが、治安という意味ではむしろ良い方だと感じていました。

なので、イランで日本人学生が誘拐されたと聞いた時には少し意外な感じを受け、さらにそれがバムの町中で起こったらしいことを知るにつれ、増々その感が強まりました。そして、思い浮かんだのが、バム地震のことです。

2003年12月26日・イラン南東部(バム)地震

2003年12月26日にイラン南東部バム周辺で 4万人以上が亡くなったと言われる地震が起こりました。地震そのものの規模としては中規模だったようですが、地震を想定しない住宅構造等から、被害は大きかったようです。

イラン時間昨年12月26日早朝5時28分(日本時間26日午前10時58分)過ぎ、イラン南東部ケルマン州のバム市(注)においてマグニチュード6.3の地震が発生した。

(注:テヘランからの距離1000km、同州州都ケルマーン市から南方180kmに存在する人口約10万人の都市。)

2003年12月26日イラン南東部のケルマン州で中規模(=6.5)な地震が発生し、被害が最も大きかったバム市とその周辺の人口約12万人のうち3分の1の約4万人が死亡し、10万人以上が家を失ったと伝えられており、今回の地震は地震規模に比べて被害は甚大である。

さらには、2005年2月22日に、同じケルマン州のザランドで、またもや地震が起こっています。

私の脳裏をかすめたのは、バム地震がこの地域の不安定さを引き起こし、それが今回の事故にもつながったのではないかということでした。ただの印象に過ぎませんが、地震によりそれまであった秩序が多かれ少なかれ失われている状態が、遠因になっていないとは言えない気がします。

また、さらに言えば、アメリカが標榜する「テロとの戦い」によって引き続いている隣国アフガニスタンの情勢不安も影響があるのではないかと思います。タリバーンの統治が民主的によかったとは言えませんが、対テロ戦争によってそれが改善されているようには思えません。2001年からアメリカはアフガニスタンで軍事行動を行っていますが、この6年間、誰と戦っているのでしょうか(イラクでも)。ベトナム戦争のときは南ベトナムの親米傀儡政権と共に、共産ゲリラと戦っていました。日本共産党などが「戦争ではテロはなくならない」とスローガンに掲げていますが、その点においては同意したいです。

地震はバムの町を変えていた?(追記)

その後の報道で、私の推測と同じ方向性の記事がありました。ただ、後で触れますが、現地を知る NGO の方によると、バムではひどい治安の悪化はなかったようです。

二○○三年十二月に起きた大地震が、三万人の生命や城塞(じょうさい)遺跡アルゲ・バムだけではなく、固く結ばれた住民同士のきずなも奪っていた。

バムの人口は地震前の十二万人から二十万人に増えた。しかし、地震による被害に絶望したかつての住民の多くは故郷を捨て、別の都市へ。その代わりに、貧しい人々や麻薬密売人などの犯罪者が流入し、治安が悪化。顔なじみが多い伝統的な地域社会は崩壊した。

事件に関するマスコミの報道についての雑感

なぜ大学が会見しなければいけないのか

誘拐された大学生が、横浜国立大学の学生だったということで、大学当局が緊急記者会見を開きましたが、ちょっと違和感が。

横浜国大は11日午後、渡辺慎介理事らが緊急会見し、「本学の学生か確証を得ていないが、当人の無事を祈っている」と厳しい表情で語った。

マスコミ等の問い合わせに答え、大学として持っている学生の情報を提供したということなんでしょうけど、大学と関係ない(しかも休学中の)学生の行動そのものについての責任も、行動を把握している責任もないように思います。

とはいえ、彼がどんな学生だったかについては、以下の記事が参考になるでしょうか。

バム周辺が危険地域だと言う報道

バム周辺が麻薬組織が横行する危険地域だと言う報道がありますが、間違いとまではいいませんが、若干煽り気味の感があります。例えば、以下の記事

今回の誘拐が起きたイラン南東部は、アフガニスタンから流れ込む麻薬の取引が活発とされ、武装勢力による誘拐や、治安当局と反政府勢力の戦闘が頻発する危険地帯だ。

確かに、日本外務省によるイランに対する渡航情報では、バムのあるケルマン州2と、その東にあるパキスタンと国境を接するシスターン・バルチスタン州3に対し、危険情報が出されていました。ただ、、どちらかというと、シスターン・バルチスタン州の危険度が強調されていたように読めます(後述)。シスターン・バルチスタン州は国境地帯でもあり、またイランでは最も低開発な地域でもあります。

以下の記事では、中村さんが誘拐されたとみられるバム周辺は観光地化されておらずと書かれていますが、これもちょっと正確ではない報道と思います。

一方、中村さんが誘拐されたとみられるバム周辺は観光地化されておらず、巨大遺跡が手つかずの状態で残されている。斉藤さんが見学に向かったとされる古代城塞「バム遺跡」もその一つ。03年の大地震で被害を受け、翌年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「危機にさらされている世界遺産」に登録した。

イスファハーンやシラーズのような、イラン旅行では必ず立ち寄るような観光地とは言えませんが、バムの城西都市の遺構、アルゲ・バムは、日本からのツアーにも組み込まれているように45、この地方では代表的な観光資源でした。地震後のことはわからないのですが、観光に力を入れていたのか、イラン当局による修復の域を越えた、作り足しと言えるのではないかという若干過剰な修復まで行われていました。6

なお、下記の記事によると、誘拐された学生はバムの町中で連れ去られたようです。(後述の外務省の渡航情報を見る限り、この地域でのこれまでの誘拐襲撃事件でバム市街で起こったものはないように見えます。)

中村さんは、バム市内のバックパッカー御用達の「アクバルゲストハウス」に泊まり、なんとそこから、一人で歩いて、アルゲ・バムに向かう途中(または、アルゲ・バムの帰り)に誘拐されました。

イラン・ケルマン州当局者によると、中村さんは連れ去られる前、同州の古都バムにある宿泊施設に3日程度滞在していたが、突然姿を消した。

外務省 海外安全ホームページでの危険情報

外務省の海外安全ホームページでの、イランに対する渡航情報(危険情報)のイラン南東部に関する情報の変化を追ってみます。

なお、イランに対する渡航情報では、今回の事件により、危険度を示す4段階のカテゴリー7のうち上から3番目の「渡航の是非を検討すべき」から2番目の「渡航の延期を勧める」に引き上げられました。

以下に新しい順に時系列にイラン南東部に対する危険情報を並べてみます。

危険情報は定期的に出されていますが、2003年12月の地震前後から昨年、2006年の途中までは情報の更新はなかったようです。地震後に即、治安が悪化したというわけではなさそうです。ただ、2006年からは事件が続発しており、少しずつ今回の事件に結びつく下地はあったとみなせるかもしれません。

また、2007年8月12日には、旅行中のベルギー人夫婦が、シスターン・バルチスタン州とケルマン州の州境のファハラジ市において誘拐される事件が発生するなど、外国人旅行者が誘拐される事件が発生しています。

また、2007年に入り、2月14日及び同16日にも、爆発事件が発生しています。

ザヘダン市内では、同年12月14日、自動車に仕掛けられた爆弾が2か所同時に爆発したほか、同20日には、自動車に仕掛けられた大量の爆発物が発見されています。

また、2006年3月16日夜、シスターン・バルチスタン州のザヘダンから北東へ約200kmのアフガニスタン国境付近のザーボル市において、ザヘダン県の知事一行に対する襲撃事件が発生し、21人が死亡(一部報道では22人)し、12人(一部報道では8人)が行方不明となりました。さらに、同年5月13日夜、ケルマン州において、襲撃事件が発生し、イラン人12人が殺害されました。

また、2003年12月に、シスターン・バルチスタン州の主要幹線道路でドイツ人2人とアイルランド人1人の旅行者が誘拐される事件が発生しました。

また、2002年12月に、パキスタンとの国境に近い都市でイラン人が誘拐される事件が相次いで発生しています。

シスターン・バルチスタン州及びケルマン州においては、1999年6月、8月及び9月、外国人旅行者が相次いで武装麻薬密売組織と思われる一団に誘拐され、誘拐された外国人旅行者は、その後無事に解放されましたが、犯人はいまだ逮捕されていません。

現地では、アフガニスタン人が攻撃の対象になることがあるが、邦人バックパッカーがアフガニスタン人に間違えられて路上で強盗に遭う被害が在イラン日本国大使館に届いていることもあり、服装・身なりにも十分な注意を払う。

NGO 関係者から見た普段のバム

現地をよく知る NGO の方のブログがありました。バムが物騒な町であるような取り上げられ方に、心を痛めていらっしゃるようです。

報道を見ていると、バムを含めたイラン南東部が麻薬組織やアルカイダ系のグループの巣窟で、治安が悪化している・・・と、言われ放題。

特に、治安の悪化などないケルマン州、特にバムの状況を知っている私にとっては、非常に複雑でした。

今でも、ほとんどの人々が懸命に震災後の復興のために努力しています。私も、バムの人々とともに働いています。

どこのまちでも、悪い人など、多少、いるものです。ポイントを抑えていれば、バムは普通のまちなのです。

また、バムでは、2003年12月に大震災が起きまちのほとんどが破壊されましたが、現在は未曾有の建設ラッシュにわいています。

そのため、シスタンバルチスタン州からバムに出稼ぎに来て、建築関係の仕事をする人が増えています。

しかし、農業などで生活の成り立たなくなった人の一部は、パキスタンへのガソリンの密輸や、アフガニスタンやパキスタンからの麻薬の密輸に手を染めてしまったようです。

他にもいろいろな違いはありますが、ともかく、バムではシーア派とスンニ派が共存しているにも関わらず、互いを尊重し、何事もなく暮らしています。他国のニュースでは、やたらに宗派間対立が強調されますが実は、バムのように、ほとんどの場所では、平穏に共存しているのかもしれません。

なぜこのように思うかと言いますと、このようなバムでの共存を見ていると、何か事件が起きると、そればかりがクローズアップされますが、実は、それ以外の大部分は平穏だったりするためです。

こうした当たり前の光景をもっと知ってもらえる機会を増やすことができたらと思っています。

ポスト @ 2:39:01 , 修正 @ 2007/10/15 23:46:22 | | 「このエントリーを含むはてなブックマーク」ボタン この記事「イラン南東部での大学生誘拐とバム地震と」を含むはてなブックマークの数

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